紀文
みかんで有名な紀伊国屋文左衛門ですが、材木商です。
寛永寺の根本中堂の材木を調達したことが切っ掛けで、バブル街道まっしぐら。幕府御用達になりました。
当時の老中、阿部正武との癒着があったんじゃないかと言われています。
急にお金持ちになると、お金の使い方がわからなくなっちゃうんですかねぇ。
紀文の豪遊ぶりは有名ですよね。
初鰹を食べるために江戸中のカツオを買占め、そのなかの1本だけを食べたとか、
深川八幡様に純金のお神輿を3基も寄進したりとかね。
紀文のバブル終焉は阿部正武と綱吉の死とともにやってきました。
次に政権についたのは新井白石で、彼は緊縮政策を行なったため、大規模な公共工事がなくなっちゃったんですね。
最後は自ら廃業して終わりました。
寛永寺は上野戦争で焼失してしまい、現在の根本中堂は川越の喜多院の本地堂を移築したものです。
慶喜が謹慎していたときに籠もっていた「葵の間」が残っているそうなんですが、普段は一般公開をしていないみたいですね。
寛永寺 東京都台東区上野桜木1-14-11






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