見附
江戸城の見附は『三六見附』と俗に言われているのですが、実際の数とは違っていて、語呂合わせみたいなものだそうです。
史料などで確認出来ている見附は
浅草 筋違橋 芝口 赤坂 四谷 牛込
の6っ。
57あったと言われているので、新しく発見されるかもしれませんね。
江戸城の見附は『三六見附』と俗に言われているのですが、実際の数とは違っていて、語呂合わせみたいなものだそうです。
史料などで確認出来ている見附は
浅草 筋違橋 芝口 赤坂 四谷 牛込
の6っ。
57あったと言われているので、新しく発見されるかもしれませんね。
1858年(安政5)に日米修好通商条約が結ばれてから今年は150年になります。
江戸東京博物館では特別展『ペリー&ハリス 泰平の眠りを覚ました男たち』を6月22日までやっています。
勝手に見所を紹介します。![]()
『阿蘭陀風説書』![]()
これはすごい!見てね。国指定重要文化財です。
なにがすごいかと言うと、今まで複写しかなかったんですね。
青山学院大学名誉教授の片桐一男氏が見つけて、江戸博に注進。
オークションで競り落として目出度く江戸博所蔵となった。今のところ原本はこれしかないレアもの。
内容はオランダ船がもたらした海外情報を訳したもの。4年に1回(前期は1年に1回)将軍に献上しました。
これは1797年6月28日のもので、フランス革命後いろいろあったけれど、今は落ち着いたよ。オランダとイギリスが戦争になっちゃって、インドの商館がイギリスに取られちゃった。
と書いてあります。
古文書が読めるわけではなく、読めるように活字にしたものが一緒に展示されているので、書いてある内容がわかります。
『嘉永珍舶録(かえいちんはくろく)』![]()
黒船来航につき諸士からだされた意見書です。
幕府も万策尽きたんでしょうかね、老中阿部正弘は諸大名や旗本、町人にまでも広く意見を集めたんです。
その中で、小普組の旗本だった勝海舟が意見を提出し、幕閣に取り立てられたんですね。
これが勝海舟の原点じゃないでしょうか。
『加藤素毛がアメリカから持ち帰った品』![]()
加藤素毛は飛騨の名主家出身で、山岡鉄舟のお父さん小野高福(たかとみ)に使えたことがある人で、万延遣米使節に
賄い方として随行、いろいろなものを持ち帰ったり、渡米日記
を書いたりした人です。
持ち帰った品のなかには、トランプ、もらった名刺、宿泊したワシントンのホテルの
ディナーメニュ、気球のチラシ、絵入りの新聞、両国の国旗などなど。
くだらなくても150年もたつとお宝![]()
国旗はちょっと食いついたね。
日本は日の丸で、
日本の船であることを表すために総船印として幕府、諸藩の艦船に使用したそうです。なにかで日の丸を国旗にした始まりと読んだような気がします。
アメリカは星条旗。当時の州が31だったので星の数は31。
変わっているのは星が横に並んでいるのではなく、放射状に広がっているんです。
なんでだろう![]()
JR板橋駅前は桜が満開です。
この町が他の町と違うのは、『近藤勇のお墓』があることです。
特に、4月25日は命日でもありますから、遠路、新撰組ファン、近藤勇ファンがお参りにきます。
慶応4年(1868)4月25日、新撰組組長であった近藤勇は、中仙道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑された。その後、首級は京都に送られ胴体は刑場よりすこし離れたこの場所に埋葬された。
没後の明治9年(1876)5月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名長倉)新八が発起人となり旧幕府御典医である松本順の協力を得て供養塔を造立。
供養塔の正面には「近藤勇宣昌(昌宣) 土方都歳三義豊 之墓」と刻まれており、側面には110名の隊士の名前が刻まれている。
近藤勇の人間性が伺えるような3.6mという大きな墓碑に薄ピンクの桜の花びらが舞っていました。
享年35歳。
誰しもが日本の未来のために、命を掛けた時代だったんですかね。
今の日本に命を掛ける人なんっているんでしょうか。
幕末は苦手なので、北区教育委員会の説明に書き加えることはありません。
登場人物が多いし、殺されたりして入れ替えが激しいし、『血、汗、泥』というイメージがあってね、好きになれない(ノ・_・)‥‥…
江戸検で幕末がでたら、諦めるしかないね。あと地図。
5月25日には滝野川『新撰組まつり』を行ないます。ヾ(^o^ )
隊士のコスプレをしてパレードをするイベントがあるそうで、参加者を募集していました。
新撰組ファンのかたは参加してみたらどうでしょう。゚・:,。★\(^-^ )♪
近藤勇と新撰組隊士供養塔
東京都北区指定有形文化財 真言宗智山派別格本山、高幡山明王院金剛寺 土方歳三の菩提寺 日野宿本陣 新撰組最大の支援者佐藤彦五郎の旧邸 新選組六番隊隊長 井上源三郎資料館 石田寺 土方歳三の墓
江戸文化歴史検定は1級の合格率が0.2%、1005人受けて2人しか合格しない。という超ウルトラスーパーメガ難関!
リベンジ燃えるぜ!!![]()
その前に2級に合格しなきゃ。
あと1点だったのが悔やまれるよ![]()
文化放送のアナウンサー野村国丸さんはあと10点だったんだって。
よし、勝った(^0^)/
一番正解率が高かった問題は
日本橋の魚河岸で働く若い衆の髷の形にちなんで、江戸っ子の勇み肌で粋な姿をたとえた言葉は?
正解率が高いのに間違えてしまった問題は
土佐の万次郎、尾張の音吉、播磨の彦蔵、伊勢の光太夫、この4人の共通点は?
正解率が一番低い問題は
江戸参勤府の際、オランダ商館長一行は、主要な都市では幕府から定められた宿に宿泊しました。江戸の定宿は長崎屋。では京都の定宿は?
正解率が低かったのに正解した問題は
外桜田にあった長州藩毛利家の上屋敷の場所は現在、何になっているでしょう?
目下の悩みな種は『DSの江戸検を買うか、買わないか』
本体が16000円で、ソフトが3800円。
2、3回で飽きちゃいそうだから、2万円は高いかなぁ〜
でも、500問もあるんだって。
500問制覇してむたい!し、悩むなぁ〜(-.-;)
ゴミ回収が6日まで休みなので、溜りにたまったゴミが3袋とダンボール箱。
ゴミの回収が終わってからも大掃除をしてしまった結果、こうなってしまった。

なるべくゴミを出さないようにリサイクル屋さんにもっていったんだけれど、値段のつくものはほんのわずか。引き取り拒否もありました。相手も商売だからしょうがないけれどね。
去年発売された本もB―Оにもっていったら、「定価の5%で引き取ります」といわれてもって帰ってきちゃった。そのうちの4冊は20円だったので、ちょっとショック。
また本棚にもどりました。
今年も我が家のゴミ問題は解決しないかも。(・_・ヽ)
江戸時代もゴミ問題がなかったわけじゃない。
世界に類をみない100万都市。人口が多ければゴミだって増える。
資源が少なかったからリサイクルは必然で、職人が丁寧な仕事をしているから、ちょっと直せばすぐ使えるし、作り変えることもできる。
『江戸のリサイクルを見直そう!』と最近言っているが、根本が違うからね。
外国で作った安いものや、機械でガンガン流して大量生産したものと物が違う。
一生懸命に分別しているけれど、リサイクル業者の方が間に合わなくゴミの山になったり、リサイクルするためにCO2がでたり。「再生紙を使わない!」と宣言した企業もありましたよね。
リサイクルのあり方を考えなければ・・・・・
去年の10月から一部のプラスチックも燃やしていいことになり『燃やせるゴミ』に表示が変わりました。
焼却温度が高温になったため、ダイオキシンなどの発生が抑えられるようになったらしい。原型よりも燃やしたほうがかさ張らないからね。
でも、まずは過剰包装を止めたほうがいいと思うよ。世界的に見ても珍しいらしいよ。よく、外国の人に日本人は潔癖症?って聞かれるもん。
江戸時代にはプラスチックなどなかったから、永代島などの海に捨てて埋め立て、新田として開発したんだね。いい有機肥料になったんじゃない。
福島のおばさんからそば粉をもらって、『そば打ち』に挑戦!してみました。
本を片手に粉まみれになりながら奮闘。
蕎麦は好きでよく手打ちの蕎麦屋さんで実演を見ているし、福島にいる親戚のうちではしょっちゅうそばを打っているので、門前の小僧、本もあるしなんとか大丈夫でしょう。って思っていたんですけどね。。。。。
最初っから失敗。
粉に水を入れて、混ぜるんですけど、パラパラした状態にしなきゃいけないのに、なんっかねっちょり。練っちゃいけないのに・・・・
イメージは頭の中でばっちりなんだけど、現実はそう簡単に行かなかった。
途中で疲れて泣きたくなるし。
茹でてみればブチブチ切れるし、お団子のように固まってしまった。
あと10回ぐらいトライすればできるかな???
福島のおじさんが心配して、打った蕎麦を送ってきてくれました。
やっぱり出来ないと思っていたんでしょうね。
あまりにも綺麗なお蕎麦なので、写真に撮りました。
ここまで出来るようになるには、先が長いね。

取り敢えず、除夜の鐘を聞く前に“年越し蕎麦”を食べることが出来ました。
一般的に年越し蕎麦を食べる理由として「細く長く生きる」って言うんですけれど、江戸っ子は「太く短く」そんなことは気にしちゃいない。
金細工職人が散らばった金を集めるときに蕎麦団子を使ったんだね。
それにあやかって、金運上昇を願って年越し蕎麦を食べたのさぁ。
蕎麦打ちの参考書 『そば打ち入門コツのコツ]』
初心者にも簡単!にちょっとだまされた。
池波正太郎さんの書斎を見て来ました。
『自分で自分と戦う仕事』と言っていらしただけに、『憩い』というものがこれっぽっちもない。
復元された書斎は狭く、後ろには迫る本棚。机は袖机に挟まれ、身動きが取れないようになっている。そのためか、手を伸ばせば必要なものが手に入るようにものが配置されている。
お盆にはポット、お茶の缶、銀色のウィスキーボトル。
直筆の原稿の上には万年筆、トレーに置かれた数々のペン。絵筆、硯、インク吸い取り、羽箒、眼鏡が2っ。
重厚な本に混じって置かれたピースの丸い缶が6個
自分を追い込んだ緊張感のある空間です。
仕事の取組方を反省してしまった。
生前、自分の故郷は浅草と上野の間と言ってらしたとおり、ここは言問通りとかっば橋商店街の交差しているあたり、台東区生涯学習センターの中の図書館の中にあります。
圧巻は時代小説コーナー。戦前から現代までの小説や資料が常時3000冊以上公開されています。
タイトルや作家の名前を見ているだけでもワクワク((o(^-^)o))
もちろん池波正太郎さんの本もこれでもかっと言うほど揃えてあります。
あれもこれも読みたくって、絞るのが大変です。

企画展示もあり、今回は『中一弥挿絵原画展』
池波正太郎はもちろん、吉川英治、野村胡堂、山本周五郎、山手樹一郎、山田風太郎、司馬遼太郎、藤沢周平などなどの挿絵を描いた人で、名前は知らなくても絵は見たことがあると思いますよ。
12月になるとやってくる忠臣蔵。大石内蔵助の生涯がかかれた『おれの足音』の原画が展示してありました。
いつも年をまたいでの大掃除になってしまうので、今年は早めに始めました。
手始めに障子の張り替えです。
コツは障子を剥がす前に霧吹きで水をかけ湿らせてから破かないようにそ〜っとはがす。
サンにノリを付け、紙の位置を決め上だけテープで仮止めをし、気持ち引っ張り加減で貼る。
仕上げに霧吹きで水を吹くとピーンと貼ったきれいな障子になる予定なのですが・・・
梅雨など湿気の多い季節は弛んでしまうことも。
最近では、破れにくい障子紙や明るい紙、両面テープで貼れるものなど種類も豊富で便利です。
江戸時代は掃除機もないしよく落ちる洗剤もないから大掃除は大騒ぎ。
大店になると奉公人はもちろん、出入りの職人や鳶も参加。
終わるころにはご祝儀を配ったり、あげくに胴上げで終わる。
竃や行灯、火鉢の煤を払うので大掃除のことを「煤払い」と言って12月13日に行っていました。
今でも旧家やお寺などでは13日に掃除をし、掃き清め正月の松などを用意しています。
我が家も掃き清め、ケガレを払い新年を迎えたいのですが、早くも年を越しての大掃除決定か・・・
取り敢えずまだ日にちがあるので、頑張ります。
京都のきもの屋『四君子』が六本木にオープンしました。
数々の芸能人を手掛けるスタイリストえなみ眞理子さんがプロデュースしただけあって、お祝いのお花がすごかった。
米倉涼子、松嶋奈々子、小雪、牧瀬里穂、瀬戸浅香、寺島しのぶ、谷原章介さんなどなどビッグな名前がずら~り。
全国から着物を選らんだようで、紺麻に白の刺繍が重厚感がある津軽こぎん。長浜の花菱。南国の密林を思わせる素朴な久米島紬。涼しげでエキゾチックな琉球紬。
そしてなんと言っても、えなみさんが描いた“プードル”の帯。
シルバーグレーのシックな地に白いプードルがかわいいけれど大人ぽい、普段着にもパーティーにも合わせられそう。
引き出しには白からグレーにかけてのグラデーションのように並んだ反物がずらり。
微妙にピンクがかったグレーやグリーンの入ったグレーなど、京都の呉服屋さんには珍しい江戸好みの渋い反物です。
襟や帯、小物でいろんな着方を楽しんでください、と言うことでしょうか。
江戸時代は度々『奢侈禁止令』がでて、贅沢は罰せられました。
そこで江戸っ子は地味だったらいいんだろとばかりに茶色は48種、鼠色は100種つくってしまった。俗に『四十八茶百鼠』というやつですね。
本当にそんなにあったかどうかは資料がないのでそれ以下かもしれないし、それ以上かもしれませんが。
で、襟や八掛など派手な色にしたり、羽織の裏に絵を描いたり、そんなことをしてお洒落を楽しんでいたんですね。

四君子 東京都港区六本木5-10-25
開店記念にシルクのうさぎエコバッグがもらえます。

11月4日に第2回『江戸検』2級をうけてきました。
今回の試験会場は、明治、法政、上智大学。
3級は午前中、2級1級は午後から。
結構、受験生は多く、おじいちゃんやおばあちゃんに混じって、コスプレ?なのか着物を着た女の子やピアスが顔中についたパンキーな子もいましたよ。最年少は10歳だったとか。
第1回目は1万人が受験したんだって。
前回の2級の合格率は44.4%。不安的中で、自己採点は69点で不合格!あと1点だったのに。残念。
間違えた問題
南北町奉行所配下の同心は200人。1人あたりが受け持った町人の数は何人でしょう?
享保のころの町人の人口は50万人ぐらい。
単純に200人で割ると
答えは 2500人
分かていたのに 5000人 にしてしまった。
やっぱり、試験って緊張しちゃうのかな。
『江戸検』問題例。やっていたい人はどうぞ。
80歳以上の人が700万人を突破したそうです。
65ではまだ老人とは言えないんでしょうね。
織田信長が「人間50年」なんて言っているものだから、昔の人は短命のイメージだけど、長生きのひとだっていますよ。
赤ん坊や子供の死亡率が高く、医療が発達していないためか病気になると死んでしまう確率が高いから、平均寿命が低いので、短命と結びついちゃうんじゃないでしょうかね。
滝沢馬琴なんて82歳まで生きていたし、徳川家康は73歳ですよ。
家康の場合は長寿を天下とりの戦略の一つと考えていたから、かなり力が入っていたみたいですけど。
普通の人でもすごい長寿の記録があります。
米沢で153歳の人がいたんだって。時の藩主、上杉定勝がもてなしたそうですよ。
153歳とは今を考えても信じられない。昔はかぞえで年を数えていたから、1、2歳今より多いけれど、それにしたってねllllllllllllllllllぇ。
第2回『江戸検定』を申し込みました。
今年の受験日は11月4日です。
3級は午前中、2級、1級は午後から受験。
3級は4200円、2級は5250円の受験料がかかり、1級は2級が合格しないと受けられません。
受験対策講座もあって、半日コース5000円、1日コース1万円。
おまけに『答え合わせ講座』なるもの2000円。
金儲け主義の匂いがしないでもありませんが・・・
取りあえず、ゲーム感覚で受けてみます。
自分の役に立たない知識がどんなもんだか知りたいし。
合格したからって、どうなるわけでもありませんからね。
7月1日から「カネボウ」は「クラシエ」に社名変更します。
明治から受け継がれてきた歴史ある名前が消えるのは寂しいですが、これから新しい歴史を作っていってほしいと思います。
「クラシエ」とは「暮らしへ」と言う意味でより消費者側に立った経営をしていくらしいです。
「カネボウ」ももとは「鐘淵紡績(かねがふちぼうせき)」の略で鐘ヶ淵の紡績工場だからです。

鐘ヶ淵は墨田区の隅田川と綾瀬川のぶつかる辺りになのですが、今では駅名に残るのみです。芝居にもなっている「沈鐘伝説」の舞台です。
川に沈んだ鐘はどこの寺の鐘だ、あそこの寺の鐘だ、と江戸の昔から諸説あり、8代将軍吉宗は引き上げようと、家来に命じたが、川に潜ってみると鐘の辺りから少女が現れて「この鐘は渡せない」と言うと家来は諦めてた。少女は「それではあなたの顔が立たないから」と言って、水面近くまで鐘を浮かばせた、竜頭が見えた辺りでまた沈んでしまったため、将軍はあともう少しだったのにと残念がったそうです。
6月7~17日まで赤坂の日枝神社で山王まつりをやっていました。
江戸時代から有名なお祭りで、江戸城内を練り歩き将軍様も上覧したことから、「天下まつり」として、江戸町民に親しまれていました。
神田の明神さんと1年おきに行なわれ、今年の山王さんはお神輿はでません。

境内には「茅の輪(ちのわ)」があり、今までの罪や穢れを祓い、これからの暑い夏を無事に過ごせるように、左、右、左と8の字を書くように潜り、清めます。
9日には稚児行列があり、お稚児さんが茅の輪を潜ります。6才までのちびっ子だったら事前の申し込みで、誰でも参加できるみたいです。
お参りをすませ、毛氈を敷いた縁台でお饅頭とお茶を頂いて、ちょっと休憩。
字のごとく、弓に関する神さまです。
平安時代、下総の国が反乱を起こしたため、朝廷は武将源頼信を追討の任に当たらせた。
野久ヶ原に本陣を張り、頼信が野久稲荷神社に戦勝祈願をしたところ、夜明けの空に矢の形をした白雲が現れた。頼信は「これぞ神のご加護!」と奮いたち勝利した。
野久稲荷に戦勝報告を済ませ、ご社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めさせた。
弓に纏わる神さまだけあって、松山城主、川越城主などから信仰され、江戸からも多くのひとが参拝に来た。
川越ぐらいなら近いけれど、江戸からはかなり遠かった。
池袋から東武東上線に乗って急行で53分。東松山までは遠かった。
しかも、準急に乗ってしまい、「まぁ、いっか」と思ったら『川越市止まり』
「行かないじゃん!」乗り換えて70分もかかって、やっと着いた。
駅からはすぐだったのだけれど、神社の隣には駐車場があって、車で行けばよかった。電車は難しいよ(ノ_-。)
ぼたんの花で有名なのですが、半分は散ってしまっていて残念。
しかし、藤棚はこれからが見時。
4本のふじが棚のコーナーにあり、それぞれ開花時期が違うので長く楽しめそうです。
ぼたん祭りの期間中、神楽殿で催しも行なわれていて、この日は『芸能共演舞踊大会』
日ごろの練習の成果を披露していました。
ちょっと、横溝正史や寺山修二の世界にトリップしてしまった。
ここは、芸事の神さまでもあって、7代目市川団十郎が祠を奉納したそうですよ。
芝離宮は大きな池のある回遊式泉水庭園です。その池の辺に、1本だけ離れて満開に咲いている桜があります。
池と桜のバランスが日本的に思え、空間のとりかたがゆったりしていて、贅沢を感じます。
奥に行くと、桜が林立しているので、にぎやかな方が好きな人は途中で帰らずに奥まで散歩してください。ソメイヨシノ、オオシマザクラ、サトザクラ、ヤマザクラなど見れます。

入園料が150円かかるのですが、お昼になるとサラリーマンなどが昼寝をしに集まってきます。ベンチでボーっとしたり、芝生で寝たり、気持ちよさそうです。緑もあるし、水もあるし、リフレッシュできそうですね。
入園料をケチりたい人は、浜松町駅の東芝ビルの出口にある遊歩道がお勧め。
ガラス張りのコーナーには簡単なベンチがあって、庭園を上から眺められます。そんなに大きくない庭園なので、一望できます。
昔、海だったところを江戸時代初期に埋め立て、大久保忠朝が上屋敷を建てました。
この庭園は「楽寿園」と呼ばれ、池には海水を引き入れ、中国の西湖を模しています。また、仙人が住んでいるといわれる蓬莱山の石組みが蓬莱島にあります。
そう言われると、中国の山水画っぽい感じもありますね。
幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となったそうです。
大名庭園に相応しく、弓道場もあります。1時間140円と安いので驚き。
ただ、指導員も居らず、道具も自分で持ってこなければいけないそうです。
旧芝離宮恩賜庭園 東京都港区海岸1-4-1

立春吉日。春到来。
節分も過ぎたので、菜の花を飾ってみました。
この花は作家司馬遼太郎氏が好きだった花で、長編小説『菜の花の沖』を書かれています。
江戸後期、淡路島の貧な家に生れた少年が海の男として苦労しながら自分の船を持ち、蝦夷の海で活躍する。
しかし、その人生は波乱で、ロシアに拿捕されたりしている。当時、南下政策を取っていたロシアと日本、松前藩はトラブルが絶えず、行きがかり上、2国間の橋渡しをしようと奔走したのが、高田屋嘉兵衛。函館に銅像もある実在の人物伝です。
司馬さんのファンは圧倒的に男性が多いのだそうだが、これも男性が好きそうな海を舞台にスケールの大きい話しです。
ただ、長い。非常に長い。6巻まであるのですが、途中の余談が多くって、なかなか話が先に進まない。
でも、その余談が面白い。
当時の海運事情や、各地の産業の発達、船の作り方。もちろん、菜種のことなど興味深い話なんですが、長いんですよ。雑学王を目指している人にはお薦め。
最近、NHKの『知るを楽しむ』にはまっています。
歴史や先人、知識人などから学ぶ、月代わりの放送です。
「知る事が楽しい」学習の基本ですよね。
特に花緑さんがナビゲートしている『歴史に学ぶ』は好きですね。
この間は「寺子屋」がテーマでした。
昔、お寺さんで教えていたそうなんですが、江戸時代になってお侍さんなどが教えるようになったのですが、そのまま「寺子屋」 と呼ばれていたそうです。
寺子屋では近所の子供たちを集め、同時に同じことを教えているのかと思いきや、個別指導だったそうです。
商売人の息子にはそろばん、絵の得意な子供には絵を、大家の倅には離縁状の書き方など得意分野を伸ばしたり、商売に合わせて教えていたそうです。
今は出来ない部分を補う教育だから秀でた人材が生まれにくいんじゃないでしょうか。
みんなと違うと虐められちゃうし。
花緑さんは詩人、金子みすゞさんの言葉を借りて「みんなちがって、みんないい」と言っていましたが、その通りだと思います。自分と違うもの、周りと違うものを受け入れる広い心をもった人が少なくなっちゃったんでしょうかねぇ。
現代は江戸時代よりものは豊になったけれど、心は江戸時代のほうが豊だったんじゃないでしょうか。
富山の名物の一つに「かまぼこ」があります。
これが普通の蒲鉾と違って板が無い。
江戸では板の上にこんもりと盛った白いカマボコが好まれたため、東京には板付きの蒸したカマボコが多く売られています。
富山の蒲鉾は昆布、もしくは色付きのすり身を平たく敷いてその上に白い白身をのばし、ロールケーキのようにクルクル巻く。切り口は渦巻き模様です。
初めて見たときは驚きました。子供のころ、ちょっとお行儀が悪いですが、昆布をはがして食べていました。ペラペラっと剥がれる所が面白かったんでしょうね。
北前船が北海道から良質の昆布を運んできたから、思わず巻いちゃったんでしょうか。
板はカマボコの水分量を保つのに役立っていたのですが、港町ですからいつでも新鮮。その必要もなかったんでしょうね。
江戸は海に近いけれど、板付き。京の都になると海から離れてしまうので、板付きの上にさらに焼いてあります。
地域によってさまざまですね。
もう一つ驚く「かまぼこ」はお祝い事などの行事で出される細工を施したカラフルな蒲鉾です。
20cmちかくある鯛の形をしたカマボコをもらった折にゃ、どうやって食べたらいいのか悩みます。結構、色もきついんですよ。どちらかというと、観賞用に見えるんですが、そのまま腐らせてもバチが当たりそうで。。。。

練り物ですから、形、色も豊富で、お店によって鯛の形も違うし、今ではバレンタインデー用のハート型かまぼこ、七夕用の短冊型、星型。富山特産のチューリップ型など様々あり、とても楽しいです。
今回はこれをお土産に東京に帰ります。
仙台の七夕と並んで、富山の高岡も有名です。
何十年ぶりに降りた駅で迎えてくれたのは、色とりどりの短冊を付けた笹飾りと懐かしい笑顔のおばちゃんでした。

すっかり忘れていたのですが、8月1日から7日まで「七夕祭り」だったのです。
町のメインストリートには約1,000本の笹が飾ってあり、いろいろなイベントが行なわれるそうです。
駅前には駅舎を遥かに超す20メートルの巨大笹や、願い事の短冊で垂れ下がった笹トンネルがありました。

「祭り」と聞いちゃぁ、黙っていられない江戸っ子魂。着いたばかりで疲れていたけれど、夕方に町に出て見た。
昼間と違った趣で、赤い火のともった提灯が揺れる笹飾りは幻想的でした。
「セイャー」と騒ぐ祭りもいいけれど、金魚すくいやおもちゃの露天をひやかしながら笹の下を歩くのも、郷愁にかられもの悲しく懐かしく、いいものですね。(って、あんたの故郷はここかい!!ひとり突込み)
昔は願い事をした笹を最後には川に流していたそうです。が、近年、環境を考え取りやめているそうです。
江戸幕府が七夕を年中行事に取り入れてから、今のように庶民に親しまれたそうです。高岡も江戸時代ぐらいから定着したらしいです。
江戸っ子の頃のお願い事はもっぱら、習い事の上達を祈願。織姫の機織からいているのでしょうかね。
しかし、星を見上げロマンチックな気分になっていたのは、江戸っ子と京都ッ子の都会者だけっだったそうですよ。

「高岡七夕」という日本酒を見つけました。富山の立山もうまいですからね。ちょっと期待。
縁側で蚊取り線香をくゆらせながら、2つの星を肴に一杯。なんて、ロマンチック。
(うちには縁側は無いんだけれど・・・・・)
さすが、浅草。キセルと刻みタバコの自販機がありました。洒落ているね。
国際ビューホテルの並びのかどのたばこ屋さんです。
キセルの隣りのいちごのタバコも気になる。

昨今、健康ブームのせいか、アメリカの真似か、どこに行っても禁煙になって喫煙者は肩身が狭い。
江戸初期も何度か幕府が喫煙を禁止したのだが、効き目がなかった。江戸中期には吸わない人が珍しいほどになったそうです。
そのおかげか、たばこ盆に贅を凝らした蒔絵のものをつくったり、煙草入れを工夫したり、根付は今でもコレクションする人がいるし、煙草も文化だったんですね。
浮世絵や美人画などタバコを吸っている絵が多いですよね。吉原の太夫の隣りには煙草盆とか。
ある意味、煙草は社交に欠かせないものだったんでしょうね。
ちなみに、私は煙草の煙がダメでくしゃみが止まらなくなります。
煙草を吸わないとイライラするんだったら吸ってもいいけれど、くしゃみがうるさいですよ。
嫌がらせのように出ますから。
汗ばむ陽気だと思えば、次の日にはマフラーを巻くような花寒。
せかく浅草に来たのに寒くって鼻水が止まらない。こんな日は春だけれども、鍋!

『一文』でねぎま鍋を食べることに。
ここは築50年ぐらいの町屋で中に入ると土間に水車が回っている。TVや雑誌でときどき紹介されているので、知っている人も多いかも。
2人で行ったので鍋は多いかなぁと思ったのだけれど、とりあえず温まりたかったので、ねぎま鍋と日本酒。
あと、つくね。ここのつくねはちょっとしたハンバーグ。温泉玉子をつけて食べます。うまい!
鯨もお薦めの一品。
東京の郷土料理って無いような気がするんだけれど、「ねぎま鍋」は数少ないなかの一つ。
冷蔵庫などなかった江戸時代、脂の塊だったトロは捨てていた。赤身のほうが重視されていたんですね。
で、安かったトロとネギをしょう油で煮込んだ鍋がうまかったので庶民の家庭に広がったそうです。
鎌倉時代末、豊島佐衛門が紀州熊野の飛鳥明神と若一王子社を遷したところから、飛鳥山と呼ばれるようになった。
紀州といえば、暴れん坊将軍「吉宗」の故郷。吉宗は紀州と縁のあるこの地が気に入ったらしく、享保五年(1720)から翌年にかけて1270本の山桜の苗木を植裁した。
また、石神井川も紀州にある音無川と名前を変えてしまうほど望郷の念が強かったのかなぁ。紀州の人が北区滝野川辺りを散策したら、故郷と同じ地名を幾つも発見できるんじゃないかなぁ。
吉宗は享保の改革をした人で、「改革には痛みを生じる」?どっかで聞いたような・・・・
質素倹約、奢侈禁止など締め付けで江戸っ子の不満は溜まっちゃうわけだ。
当時、花見といえば上野の寛永寺など神社仏閣で騒ぐことはできなかった。そこで、暴れん坊将軍は羽目を外してもOKの花見を飛鳥山に作ったんだって。ここで不満を爆発させてくれ!ってことなんでしょうね。
秋には紅葉狩りが出来るように、もみじも植えたそうなんですが、今では影を潜めてしまった。
「花見」「蓮見」「月見」「紅葉狩り」「雪見」江戸っ子はそれぞれの四季を楽しんだようですね。

子供の頃、飛鳥山で遊んだときには木が生い茂った山だったような気がしたんだけれど、こう見てみると平坦ですね。山とは名ばかりの丘、ちょっとした盛り上がりです。初めての人は「どこ?どこ?」と探してしまうかも。

神田猿楽町の『豊島屋』と言えば、白酒ですね。
ひな祭り限定販売の『江戸の草分け白酒』(180ml 441円)はもち米、米麹を味醂に仕込み、石臼で擦った白酒です。
豊島屋さんは老舗で慶長年間、豊島屋十右衛門が鎌倉河岸に酒屋を開いた。
当時、徳川家康が江戸に入り、江戸城の大改修を行ない、鎌倉河岸は江戸城改修の資材、石垣や木材などの陸揚げするのに使われ、人足や武士が集まり、それを当て込んで商人が集まって賑わっていた。
江戸時代から白酒が有名で、「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われるほど。
長谷川雪旦の「江戸名所図会」でも、雛祭りに白酒を求めるの豊島屋本店の賑わいぶりが描かれています。白酒の売り出し日には、医師と鳶職を待機させて、店に殺到する人たちが怪我をしたときに対応しました。それほどすごい人で、この時期には店の入口と出口を別にして、店内を一方通行にしなければならなかったそうです。
日本橋三越斜め前の『三井越後屋ステーション』に行ってきました。
ビルの一部が江戸時代の越後屋さんの外見になっていて、ちょっと不思議。
中ではカフェやステージ、屋台コーナー、其角堂コレクション、日本橋案内などがあります。
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カフェのメニューは豆腐尽くし。
「越後玉¥380」ホットスウィーツ。豆乳が練り込まれたもちもちとしたお団子に特製の蜜をかけて食べます。
「豆乳ジュース」プレーンからフルーツ味まで3種類?
「豆乳プリン¥250」5種類のソースがあります。
その他に「もろみのフルーツ寒天」「豆腐」「おにぎり」など。
日替わりの老舗弁当も売っていて、「矢の根寿司」のすしいろいろ弁当¥1,000。「小春軒」の老舗洋食弁当¥1,000。「玉ひで」の特製親子丼弁当¥1,300。
なかでも、人形町の「玉ひで」はお薦め!いつも並ばないと食べれないお店なので、並ぶのが嫌いな人はどうぞ。ただ、11時からの販売で数が少ないので早めに買いに行ったほうがいいかも。
ステージではライブやラジオの公開録音などやっています。「越後屋塾」として、寄席や老舗講座、三味線講座、講談など日本の文化や伝統を教える寺子屋もやっています。イベントは日によって違うので調べていくと楽しみが増えます。
残念ながら3月31日までの営業。日本橋の案内所として残して置いてもいいと思うんだけれど。。。
日本橋は再開発に力を入れているらしく、新しいビルが建ったり、イベントをしていますが、是非、高いビルばかりでなく目線を下に向けてほしい。老舗の若旦那衆、がんばって。
日本橋から富士山を見てみたいね。無理だけれど。
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