April 01, 2010

『ガチンコ』の語源

普通に『ガチンコ』って使っていたけれど、江戸時代から使われていたんだね。
もともとは角界の業界用語で、力士同士が稽古で激しくぶつかる音からきているらしい。

そこから真剣勝負のことを『ガチンコ』というんだって(^O^)/

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November 11, 2009

『七五三』はどうして11月15日?

地方によって日にちが違うようで、1月にやったり5、6月にするところもあるそうですよ。

千葉や栃木では結婚式の披露宴ばりに盛大にホテルで行う家庭が多いそうで、費用は25万円前後が主力で、中には100万円以上かける家があるとかで驚。w(゜o゜)w
こどものお色直しやケーキ入力もあるんですって。

うちも妹の七五三はお寿し屋さんの2階を借り切って、近所の人や親戚を呼んだ覚えがあります。
妹は身体が弱かったので、親の思い入れがあったんでしょうね。

昔は乳幼児の死亡率が高くって『7歳前は神の子』と言って、死んでも神様の元に帰ったことにして、死んでもあまり悲しまないようにしていたようです。

中国では奇数が縁起がよくおめでたいので、3歳5歳7歳の伏し目にお祝いをすることにしたらしいですよ。

3歳は『髪置』と言って男女ともに髪を伸ばしはじめる。
5歳は『袴着』で男の子が初めて袴をつける。
7歳は『帯解』女の子が着物の付け紐をやめて、普通の帯を使い始めます。

江戸初期の将軍家が11月15日にお祝いをしたのが慣例になって、直参も右へ習いで11月15日になり、お膝元の江戸っ子も「あやかろう」ってんで、同じく15日にお祝いをしたんですね。

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November 01, 2009

江戸検!終わった

江戸検!終わった
第4回江戸歴史検定1級
受けて来ましたよ。

結果は聞かないで

高い秋の空に雨雲一つ
って感じ

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October 03, 2009

鞆の浦の景観保護

先日、鞆の浦の埋め立てと架橋が差し止めになりました。

ここは宮崎駿さんが『崖の上のポニョ』を構想したところで、「ポニョの海を守れ!」とばかりに反対運動をしていました。差し止めに関して、宮崎さんがコメントをマスコミにだしていましたね。

しかし、『鞆の浦』と言えば『ポニョ』ではなく『いろは丸』なんです。

『いろは丸』は坂本竜馬率いる海援隊が伊予大洲藩から借り受けた船で、長崎から大坂まで武器や商品を輸送中、紀州藩の軍艦と鞆の浦の沖で衝突。大破したいろは丸は曳航の途中で沈没してしまいました。

竜馬他乗組員は鞆に上陸。紀州側と損害賠償の交渉のため、6日間?滞在。進展がなかった交渉は長崎に舞台が移され、7万両で話がついた。

鞆の浦の海を見ていると、3本マストの蒸気船が見えるようです。

少なくとも橋が架かってしまったら、往時を偲ぶ気持ちに水がさされてしまいます。

Img_9127 

鞆には当時、竜馬が宿泊した宿や交渉の場に使われたお寺など現在も残されています。

もともと奈良時代から港として栄えていた歴史のあるところで、常夜灯、雁木、波止場、船の修理場など、江戸時代からの港湾施設が残っている貴重な町なんですね。

ポニョばっかり取りざたされているようですけれど、全国の竜馬ファンはどうしたんでしょう。

なにか反対運動とかアクションを起こしたんでしょうか?

もし行動をおこしていたら、ごめんなさい。

だって、マスコミはポニョばっかりなんですもん。全国の竜馬会はなにやっているんだろうと思っちゃうでしょ。

そう言う自分はというと、別に竜馬ファンじゃないし、いろは丸は3本マストで形は好きだけれど蒸気船でしね。蒸気船に浪漫は感じないんですよね。

とはいえ、江戸時代を忍ばせる景勝が守られてよかった。

壊してしまったら二度と同じものは作れないですからね。

諌早湾の教訓を学ぶべきだと思いますよ。

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July 26, 2009

生まれ変わるなら、化政期の商人

1800~1830年のころに唐物問屋とか廻船問屋shipをやってみたいですね。

文化文政のころの将軍は11代家斉。子供が55人でしたっけ?ゴロゴロ生ませちゃった人。chick

江戸も後期になると、武士よりも町人のほうが経済力もあり、江戸文化は爛熟を向かえます。

このころ活躍した文化人には

十返舎一九bullettrain 式亭三馬。 為永春水。 滝沢馬琴。 柳亭種彦。 与謝蕪村。 小林一茶。  太田南畝。 喜多川歌麿。 葛飾北斎wave 歌川広重fuji 東洲斎写楽。 渡辺崋山。 円山応挙shock 司馬江漢。

思いつくだけでも、すごい人たちでしょ。絶対名前だけは知っている。

私がなりたいのは、この中には入っていない木村蒹葭堂(きむらけんかどう)

この人は大坂で酒造業を営んでいた商人なんですが、いろいろなものを集めていたコレクターなんですね。

今で言えば、荒俣宏さんみたいな。

どんなものを集めていたかと言うと、

書籍 書画 地図 植物 奇石 貝

日本国内はもちろん、ヨーロッパの本や貝、オットセイ、イッカククジラ、虎の皮

博物館状態ですね。

珍しいものを一目見ようといろんな人がやってくるので、

木村蒹葭堂のお友達がまた、すごいひとばっか

画人では浦上玉堂。 田能村竹田。 谷文晁。 司馬江漢。 伊藤若冲。 円山応挙。

文人では太田南畝。 『雨月物語』の上田秋成。

蘭医の大槻玄沢。

蘭癖の大名 朽木昌綱。

相国寺の大典顕常。

お友達がすごいでしょ。

みんな珍しいものが見たくって集まってくるから、有識者のサロンみたいな感じになっていたんでしょうね。

今の時代でも蒹葭堂コレクションを見てみたいと思いますからね。

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March 04, 2009

女子のお酒

3月3日はひな祭り。
女子だけで飲み明かそう(*゚▽゚)ノ

折角だから白酒も用意してみました。

神田猿楽町の老舗 『豊島屋』の白酒です。
ひな祭り限定販売の『江戸の草分け白酒』(180ml 441円)はもち米、米麹を味醂に仕込み、石臼で擦った白酒です。

たぶん、ガブガブ飲むものじゃないんでしょうね。
漆の盃でチビチビと上品に。
な~んって、めんどくさい!
なめるように飲んでいたら、味がわかんないじゃない(○゜ε゜○)

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豊島屋さんは老舗で慶長年間、豊島屋十右衛門が鎌倉河岸に酒屋を開いた。
当時、徳川家康が江戸に入り、江戸城の大改修を行ない、鎌倉河岸は江戸城改修の資材、石垣や木材などの陸揚げするのに使われ、人足や武士が集まり、それを当て込んで商人が集まって賑わっていた。

江戸時代から白酒が有名で、「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と詠われるほど。
長谷川雪旦の「江戸名所図会」でも、雛祭りに白酒を求めるの豊島屋本店の賑わいぶりが描かれています。白酒の売り出し日には、医師と鳶職を待機させて、店に殺到する人たちが怪我をしたときに対応しました。それほどすごい人で、この時期には店の入口と出口を別にして、店内を一方通行にしなければならなかったそうです。

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January 02, 2009

『遊び』から『学ぶ』

お正月に『人生ゲーム』で遊びませんでした?

江戸時代にも『人生ゲーム』のようなものがあって、子供たちが遊んでいました。
サイコロを振って移動する双六の形をとっているのですが、武士バージョンや女の子バージョンなど階級や男女別に種類があったみたいですね。

Img_9208

写真のものは武士バージョン。特に旗本の男の子向けだったものです。
その名も『御出世大名雙六』

遊び方は
サイコロを振って出た目の数を進むのではなく、右上の○の中に書いてある数字のところに進みます。
左に書いたあるのは、賄賂(付け届け)です。
出世するのにはどこの役人にいくら払わなければならないか、が書かれています。

賄賂って、ばれたらやばいんじゃない?
今の時代だったら、そうとうマスコミにたたかれちゃいますが、江戸時代は賄賂天国\(^o^)/
「越後屋、そちも悪よの」といってお代官様が賄賂をもらっていますが、全然悪いことではないのです。
当たり前なのです。
ただ、頼む内容しだいで悪くなるかもしれませんが。

だいたい武士の給料が低いから賄賂(付け届け)がないと生活が出来ない。
生活の糧にもなりますから、賄賂はもらうにしろ、あげるにしろ大変重要になります。

そこで、子供のうちから覚えちゃおう!ということで遊びのなかに取り入れられているんでしょうかね。


スタートは下段の真ん中あたり、1~6まで書かれている枠が少し大きいところが始まりです。
下は『交代衆』の下級武士から上は『御大老』まであり、この役職につくと、次にどこへ出世するのかが解るようになっています。

江戸時代を勉強している人にはとても役立つ参考書になると思いますよ。

コピーですが、千葉県佐倉の『歴史博物館』寺子屋体験コーナーで遊べます。




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December 16, 2008

赤穂義士討ち入り

元禄15年12月14日 赤穂の義士が吉良邸に討ち入った日ですね。

『忠臣蔵』です。この時期になるとよくTVなどでやっていますよね。
昨日も田村正和が主演でやっていましたが、『忠臣蔵』はお芝居のタイトルで本当は『赤穂事件』とか記録には書
かれているようです。


雪の積もった町をザクザク隊をなして歩き、陣太鼓を打ち鳴らして門を木槌で打ち破る。
有名なシーンですよね。

でも、東京で12月中旬に雪が降ることはないですよね。
温暖化の影響か・・・・・と、すぐ思ってしまう昨今ですが、まったく関わりないことはないんでしょうが。

江戸時代は太陰太陽暦だから太陽暦より1ヶ月ぐらいづれる。
しかも8月に閏月があったので、元禄15年12月14日を新暦に直すと、1月30日になる。

1月30日じゃあ、東京に雪が降るかもね。


47人が歩くとかなりの音がする。
今と違って車も走っていない夜の江戸の町はシ~~ンとしているから、よけい響くんだけれど、あの降り積もった雪が音を吸収して、目出度くも吉良側に気づかれることなく討ち入りができた。


あの陣太鼓もフィクションらしいですよ。

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November 14, 2008

『七五三は11 月15日』どうして?

地方によって日にちが違うようで、1月にやったり5、6月にするところもあるそうですよ。

千葉や栃木では結婚式の披露宴ばりに盛大にホテルで行う家庭が多いそうで、費用は25万円前後が主力で、中には100万円以上かける家があるとかで驚。w(゜o゜)w
こどものお色直しやケーキ入力もあるんですって。

うちも妹の七五三はお寿し屋さんの2階を借り切って、近所の人や親戚を呼んだ覚えがあります。
妹は身体が弱かったので、親の思い入れがあったんでしょうね。

昔は乳幼児の死亡率が高くって『7歳前は神の子』と言って、死んでも神様の元に帰ったことにして、死んでもあまり悲しまないようにしていたようです。


中国では奇数が縁起がよくおめでたいので、3歳5歳7歳の伏し目にお祝いをすることにしたらしいですよ。

3歳は『髪置』と言って男女ともに髪を伸ばしはじめる。
5歳は『袴着』で男の子が初めて袴をつける。
7歳は『帯解』女の子が着物の付け紐をやめて、普通の帯を使い始めます。


江戸初期の将軍家が11月15日にお祝いをしたのが慣例になって、直参も右へ習いで11月15日になり、お膝元の江戸っ子も「あやかろう」ってんで、同じく15日にお祝いをしたんですね。

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September 07, 2008

江戸っ子の定義

俗に『三代続いたら江戸っ子』と言いますが、今も昔も江戸(東京)は諸国の吹き溜まり、田舎者で成り立っています。


山東京伝の『通言総まがき』(1787年)によると
『金の魚虎(しゃちほこ)を睨んで、水道の水を産湯に浴びて、お膝元に生まれ出ては、拝搗の米を喰らって、乳母日傘にて長(ひととなり)、金銀の細螺(ささご)はじきに、陸奥山も卑とし、吉原本田のはけの間に、阿房上総を近しとす。隅水(すみだがわ)のしらうおも中落を喰わず、本町の角屋敷をなげて大門を打は、人の心の花にぞありける』
だ、そうです。


金の魚虎(しゃちほこ)を睨んで
江戸城の天守閣には金のシャチホコがあったんですけれど、このころは燃えちゃってないんですよね

水道の水を産湯に浴びて、
羽村から四谷大木戸を通って江戸城に入る玉川上水のことです。一旦、江戸城に入って使わない水が町人の飲み水になります。

お膝元に生まれ出ては
もちろん、将軍のお膝元ですね

拝搗の米を喰らって
白米、銀しゃりのことです
乳母日傘にて長(ひととなり)
乳母に日傘をさされて育った

金銀の細螺(ささご)はじきに
小銭をおはじきにして遊ぶ
隅水(すみだがわ)のしらうおも中落を喰わず
白魚の中落ちを取って食べる。取れるもんなら、取ってみろ!と、ツッコミたくなりますよね。

本町の角屋敷をなげて大門を打は
日本橋本町の角地(当時の一等地)を売って吉原に行く


江戸時代、いったいこの条件に当て嵌まる江戸っ子がどのくらいいたんでしょうか?

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