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September 30, 2008

読めそうで読めない漢字

『竹の台』普通は『たけのだい』と読んでしまいますが、
これは『たけのうてな』と読みます。


上野公園の噴水があるあたりを江戸時代『竹の台』と呼んでいました。
寛永寺根本中堂があったところです。

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September 21, 2008

ハダニ

ハダニは夏が大好き。
葉の裏にビッシリついてしまいます。

葉についてしまったら、シャワーノズルのついたホースで少し水圧を上げて洗い流す。

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September 11, 2008

京都の地蔵盆

8月24日前後に京都では地蔵盆が行なわれます。

Img_3595_2 お地蔵さんは子供を守ってくれる神様なので、このお祭りの主役は子供です。

子供の健やかな成長を願って、朝早くお地蔵さんを清め、花やお餅などを供えて飾りつけをします。

京都の町には町内に1つはお地蔵さんがあって、町それぞれ独特の飾りつけ、イベントを行ないます。

子供たちにとっては、お菓子をもらったり、ゲームをしたりと夏休みを締めくくる子ども会になっているみたいですね。

おとなにとっては結構大変みたいで、事前の準備や奉納の前掛けを作ったり、子供が生まれたときには子供の名前を書いた提灯を奉納するところもあるそうです。

Img_3597_2 今回、見られなかったのですが、「ふごおろし」と呼ばれる福引があって、二階の窓から宝船に見立てた箱に景品をのせてロープで1階に下ろす。と、いう行事を昔はやっていたようです。

町屋の2階から下ろすんだったら絵になりますけれど、マンションじゃねぇ~

いまではそういった風習も無くなりつつあるそうです。

I65_2 また、地蔵盆自体もやらない地域がでてきたとか。お地蔵さんをお清めしていたおじさんたちがなげいていました。

「東京ではあらへんの?」

そう言われれば、『地蔵盆』は聞いたことありませんね。

昔、○○年前、お稲荷さんで「子ども会」をやっていたことを思い出しました。やはり、お菓子をもらったり、ゲームやカラオケ大会などなど、婦人警官が交通ルールの紙芝居をしてくれたかなぁ?近所のおばさんだったかなぁ。覚えていないけれど、そんなようなこともしていました。

Img_3679_2 共働きの家庭が増えて、なかなか面倒臭がって運営をしてくれる大人がいなくなったことと、子供が減ったことで、いつのまにかなくなってしまいました。

お神輿の担ぎ手もいなくって、2~3の町が合同でお祭りを開催したり、町内の枠を超えて担ぎ手を募集する始末です。

寂しいですね。

京都では頑張って風習を残して欲しいですね。

とある町のスケジュールです。

○○地蔵盆行事表

日時 8月24日(日)9時~16時

場所 ○○中学校 裏門広場

9時15分  お経(数珠まわし) ○○寺

10時    おやつ(ジュース付き

12時    お昼(おにぎり)

13時    ゲーム(人形すくい)

15時    おやつ(ジュース付き)

15時30分 福引 

        各ご家庭にお下がり配布

16時    終了(後片付け)

Img_3721_2 『数珠まわし』とは

子供たちが、直径2~3メートルのお数珠の周りに座って、お寺さんの読経にあわせて順々にまわします。

子供たちが唱えるお念仏は地域によって違うらしいです。

平安の都に疫病が流行したときに、後醍醐天皇が知恩寺の空円に、疫病を鎮めるよう命じました。空円は紫宸殿に籠もって7日間念仏を唱え続け、疫病を封じた。このとき唱えた念仏の回数が百万遍。後醍醐天皇より百万遍の勅号と大念珠などを授けられた。 そういわれれば、『百万遍』という地名があったような気がする。

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September 07, 2008

江戸っ子の定義

俗に『三代続いたら江戸っ子』と言いますが、今も昔も江戸(東京)は諸国の吹き溜まり、田舎者で成り立っています。


山東京伝の『通言総まがき』(1787年)によると
『金の魚虎(しゃちほこ)を睨んで、水道の水を産湯に浴びて、お膝元に生まれ出ては、拝搗の米を喰らって、乳母日傘にて長(ひととなり)、金銀の細螺(ささご)はじきに、陸奥山も卑とし、吉原本田のはけの間に、阿房上総を近しとす。隅水(すみだがわ)のしらうおも中落を喰わず、本町の角屋敷をなげて大門を打は、人の心の花にぞありける』
だ、そうです。


金の魚虎(しゃちほこ)を睨んで
江戸城の天守閣には金のシャチホコがあったんですけれど、このころは燃えちゃってないんですよね

水道の水を産湯に浴びて、
羽村から四谷大木戸を通って江戸城に入る玉川上水のことです。一旦、江戸城に入って使わない水が町人の飲み水になります。

お膝元に生まれ出ては
もちろん、将軍のお膝元ですね

拝搗の米を喰らって
白米、銀しゃりのことです
乳母日傘にて長(ひととなり)
乳母に日傘をさされて育った

金銀の細螺(ささご)はじきに
小銭をおはじきにして遊ぶ
隅水(すみだがわ)のしらうおも中落を喰わず
白魚の中落ちを取って食べる。取れるもんなら、取ってみろ!と、ツッコミたくなりますよね。

本町の角屋敷をなげて大門を打は
日本橋本町の角地(当時の一等地)を売って吉原に行く


江戸時代、いったいこの条件に当て嵌まる江戸っ子がどのくらいいたんでしょうか?

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床屋の名前の由来

明暦3(1657)年の大火のあと、火除地として『広小路』がつくられました。

延焼を防ぐためにつくられたので、建物を建てることは禁止されていました。
しかし、なんでもない時は非常に勿体ない。

そこで、いつでも取り壊せる仮設の店『床店(とこみせ)』で商売するようになりました。

後に利権がからんで、自分たちの営業権を守るため、幕府に上納するようになります。
幕府も財政難だからもらっちゃうんです。
上納金の値上げを要求して、半永久的に認めたりしてちゃっかりしています。


床店は小間物屋、古本屋、占いなど様々な業種がありました。
そのなかで『髪結い』が多かったので『床屋』と呼ばれるようになりました。

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September 06, 2008

まぼろしの屯所 不動堂明王院

ここも新撰組最後の屯所跡といっているところです。

「京都坊目誌」によると、新撰組の不動堂村の屯所は、「堀川の東、木津屋橋の南」とあるだけで正確な場所は記されていないそうです。

屯所は官軍に取り壊され、新撰組生き残りの永倉新八が後年その場所を訪れた時にも、町が様変わりしていて、全く分からなかったそうです。

Img_3586_2「ここが本当だ!」「いや、こっちだ」と騒いでいるのは新撰組ファンの観光客だけで、京の人々はどうでもいいみたいですね。

「新撰組」と「新選組」もどっちでもいいみたいで、当の土方歳三も両方の字を使っていたそうです。

ここは、弘法大師空海が、東寺の鬼門にあたるこの地で、不思議な霊石を発見し、その石に自ら不動明王を彫刻して、それを石棺におさめて、井戸深くに安置しました。その不動尊を「霊石不動明王」と名付けて、堂宇が創建されたそうです。


不動堂明王院の限定日本酒「まぼろしの屯所」があるそうです。お不動さまの霊力を封入した霊験あらたかなお酒。ありがたくって飲めないですよね。

お不動様の隣には「道祖神社」がありました。Img_3587

道祖神は古くから信仰されている神様で、村の境や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形で祀られています。

大概は男女一対で村の守り神、子孫繁栄の神さまですが、最近では交通安全の神として信仰されています。

新撰組とは関係なさそうだったのですが、仲睦まじい男女の石像だったので、取りあえず「縁結び」祈願しました。

飾られた提燈には『交通安全』の墨痕が。

まいいっか(#⌒▽⌒) 

 

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新撰組不動堂村屯所跡

西本願寺を追い出された新撰組は不動堂村に屯所を移しました。

引越しの直前に幕府直参に取り立てられ、屯所は大名屋敷に紛う立派な構えだったそうです。費用は追い出した西本願寺が全額負担したそうです。そんなに嫌いだったんですかねぇ。

そんな立派な屯所も半年ほどいただけで、伏見に移ってしまいました。

そして慶応4年(1868)鳥羽伏見の戦いが起こります。Img_3581

期間が短かったため正確な位置が不明で、現在、3箇所で「ここが・・・」と標石や解説板を立てています。

そのうちの一つがハトヤ瑞鳳閣です。地味な感じで解説

Img_3584

板が立っていました。

瑞鳳閣の後ろに「うちが屯所あとだ!」という不動堂があります。

リーガロイヤルホテルにも「ここが屯所あとです!」と標石があります。

近所のおじいちゃんが

「関東の人は新撰組が好きだねぇ、ここらではあんまり人気がないけど」

そりゃそうだろうなぁ、関東の田舎者がズカズカと京の都を歩き回り、市中警護といっては刀をふりまわしているんだもん、好かれる理由がない。

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September 05, 2008

見附

江戸城の見附は『三六見附』と俗に言われているのですが、実際の数とは違っていて、語呂合わせみたいなものだそうです。

史料などで確認出来ている見附は
浅草 筋違橋 芝口 赤坂 四谷 牛込
の6っ。

57あったと言われているので、新しく発見されるかもしれませんね。

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September 03, 2008

岩手のおみやげ

岩手のおみやげ
岩手屋の『いかせんべい』
小麦粉で作った南部煎餅の上にイカをトッピング。
イカのうま味がでた、ビールに合うお煎餅です。

裏には『黒胡麻』がびっしりで、体によさそう。

昔は今のようにお菓子が豊富になかったから、何にもないけれど、子供のために小麦粉をといて、焼いてくれたおばあちゃんの優しさ、素朴さが感じられます。
たぶん、工場でペタペタたくさん作っているんだろうけれど。

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