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September 27, 2006

カレラノユクエ

写真家長坂芳樹さんの写真展に行って来ました
長坂さんと知り合ったのは7、8年前。その前まで彼はニューヨークに住んで、写真を撮っていました。
そのころ知り合ったアーティストの若くつっぱった写真がモノクロで入り口に飾ってあります。そして、10年後の今またNYで彼らの消息を尋ねまわり、彼らの現在を撮ってきました。
Image002

人種もさまざま、年齢もばらばら、NYが好きな人もいれば、仕方なしに住んでいる人、成功した人もいれば、子供ができて安定した生活を選んだ人。家族が増えて幸せな人。9・11を体験した人。
10年の間にいろんな事があったんだなぁ。と、いろんな人生が垣間見られる写真でした。

撮られた長坂さんの人柄がよくで、10年前はNYということも合って、やっぱり自身もかなりつっぱって頑張っていたんでしょうね。
今の写真は「人が好き」というのがよくわかります。

「人が好き」と言うだけ合って、友達が大変多く、写真展も盛況でした。オープニングパーティーではブルースハーブ奏者がミニライブをしたり、フィルム+DJのショーが行なわれた日もあったそうです。
友達が多いというのも、ちょっと羨ましい。

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September 10, 2006

鋳物の町

富山県高岡市金屋は鋳物の町です。高岡にはいたるところに鋳物があります。
駅の改札に巨大鍋、ロータリーには大友家持の像。商店街のあちこちに鋳物。旧家の庭にも鋳物。奈良、鎌倉に続く日本三大仏『高岡大仏』もあります。Imono
ライオンの像には猛獣のためか、脚に鎖が巻きつけてありました。

東京で鋳物の町と言えば、埼玉県川口。キューポラのある街、工場を想像しますが、金屋は電柱もない石畳の道に千本格子の家が軒を並べ、城下町の風情です。

Inono2道沿いには母屋、中庭を挟んで土蔵、その奥に工場(吹屋)なので、道路からは工場が見えません。土蔵で母屋と隔てることで、もし火災になった時の延焼を避けるためだそうです。

町の起こりは古く、慶長14年(1609)、前田利長が高岡に城を築き、慶長16年に河内から勅許鋳物師の流れを組む7人の鋳物師を招いて、金屋町に住まわせました。
鋳物師たちに免税など職業的特権を与えられたそうです。
Kanaya
元和元年(1615)の一国一城令で高岡城は廃城となり、武士も金沢へ引き上げた。城下に人がいないんじゃ商売にならないので、町民も移ろうと思っていたら、三代藩主利常が転出禁止の布告を発し、町民の足留。城下町をそのまま商工業都市とし、産業の発展に力を入れた。

当初は鍋、釜、鋤、鍬などの日用品や農機具などを製造していたが、江戸時代後期になると、銅鋳物の生産が盛んになり、釣鐘や仏像などが作られるようになりました。
1873年にウィーンで行われた万国博覧会にも出展。芸術性の高い美術品も多く作られるようになったそうです。
町内で今でも続けているのは5件ほど、ほとんどが時代のせいか大工場化となり、郊外に移っていったそうです。

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September 08, 2006

細工かまぼこ

富山の名物の一つに「かまぼこ」があります。
これが普通の蒲鉾と違って板が無い。
江戸では板の上にこんもりと盛った白いカマボコが好まれたため、東京には板付きの蒸したカマボコが多く売られています。
富山の蒲鉾は昆布、もしくは色付きのすり身を平たく敷いてその上に白い白身をのばし、ロールケーキのようにクルクル巻く。切り口は渦巻き模様です。
初めて見たときは驚きました。子供のころ、ちょっとお行儀が悪いですが、昆布をはがして食べていました。ペラペラっと剥がれる所が面白かったんでしょうね。
北前船が北海道から良質の昆布を運んできたから、思わず巻いちゃったんでしょうか。
板はカマボコの水分量を保つのに役立っていたのですが、港町ですからいつでも新鮮。その必要もなかったんでしょうね。
江戸は海に近いけれど、板付き。京の都になると海から離れてしまうので、板付きの上にさらに焼いてあります。
地域によってさまざまですね。Tai6622


もう一つ驚く「かまぼこ」はお祝い事などの行事で出される細工を施したカラフルな蒲鉾です。
20cmちかくある鯛の形をしたカマボコをもらった折にゃ、どうやって食べたらいいのか悩みます。結構、色もきついんですよ。どちらかというと、観賞用に見えるんですが、そのまま腐らせてもバチが当たりそうで。。。。
Kama

練り物ですから、形、色も豊富で、お店によって鯛の形も違うし、今ではバレンタインデー用のハート型かまぼこ、七夕用の短冊型、星型。富山特産のチューリップ型など様々あり、とても楽しいです。
今回はこれをお土産に東京に帰ります。

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September 05, 2006

いろいろな形に見える岩

重要文化財・菅野家(富山県高岡市木舟町36)の庭石です。
能登から船で運ばれてきた砂岩で、侵食された部分が滝のように見えるところから、枯山水風にしたのではないでしょうか。

しかし、滝というよりは。。。。。。

人によっては布袋様のお腹とか、蛙に見える人もいるそうです。

そうも見えないんだよね。
私には「グー」に見える。手をグーっと握った形。
そう見えたのは私だけではないそです。
先人もそう見えたみたいで、「幸運を握る手」として噂を聞き、遠くから見に来た人もいたそうです。菅野家の豪商にあやかろうと言うことでしょうか。
Ishi_1

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重要文化財 菅野家住宅

1900年の大火で町の半分以上を焼失した山町筋は燃えにくいということで、土蔵の町屋になりました。Dozou
山町筋の土蔵の中でもひときわ大きい菅野家は、店の間、店座敷、仏間、本間などの一部を一般公開しています。なぜならば、人が住んでいるからです。
お嫁に行った娘さんが里帰りをしていて、中を案内してくれました。Rennga1

菅野家は江戸時代末期から明治にかけて廻船の興隆に伴い財産を築きました。
明治には高岡銀行、高岡電灯を設立する一方で、政界にも進出するなど高岡の政財界の中心的存在でした
今は高岡瓦斯株式会社になっています。瓦斯???これはガスと読みます。上がってすぐの店の間に昭和初期から今までのガスの歴史が展示されています。昔、実際にあったガスの自動販売機がありました。To

奥の間は意匠を凝らしてあり、壁はなんと朱色。瑪瑙の粉を混ぜてあるそうです。ざらさらしていて、掃除の時に洋服なんかを擦ってしまうと色が移り、落ちないそうです
壁が赤と言うのは抵抗がありますが、えび茶に近い落ち着いた朱色です。ミョウにマッチしています。

その先に仏間。すごい!壁一面がお仏壇。黄金の曼荼羅です。Hisashi

覗き込んでバチが当たるんではないかと思っていたら、これは飾り仏壇で仏様はいらっしゃらないそうです。法要などの催事のときに仏様を移すそうです

その次の間が中庭が望める本間。
柱や長押には柾目の桧や尾久杉などを使用。北前船で運んできたそうです。Shoumei
天井にはスズランのような大正時代のシャンデリアが下がっていました。かわいい。これはほしいですね。今の時代でも十分合うと思いますよ
不思議だったのが、葡萄の木で作ったテーブル。これは別に綺麗でもなく、と言うか木の目がまだらで気持ち悪い。どういう意図で作ったのか。。。。話しによると、希を狙ったのではないか、人がしないようなことをしたかったのでは。とのこと、お大尽の考えそうなことだね。Ki

ここの主は中庭がお気に入りのようで、お客用のお風呂から中庭が見えるようになっています。
庭には朽ちた木が立っています。なんの酔狂かと思いきや、1900年(明治33年)の大火の名残だそうです。教訓として残したのかどうか分かりませんが、今では庭の一部になり趣があります。

隣りの土蔵は喫茶店になっていたので、一休み土間のテーブル席、奥の座敷があります。風通しがよく、扇風機が置いてありましたが使う必要はないですね。
強い日差しと対照的で中は暗くひんやりしています。座敷の畳もひんやり。座布団をうちゃって座りました。漆喰の白壁も涼を増します。Kisa

中庭を見ながら抹茶白玉をいただき、時間を忘れ長居をしてしまいました。
時間も空気もゆっくり流れ、ボーッとしていたわりには充実感があり、充電したなぁ。と言う感じ。来てよかった。

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September 03, 2006

土蔵のある町並み

富山県高岡市の山町筋は土蔵の町です。Imgp6527
仏壇屋さんも土蔵、呉服屋さんも土蔵、薬屋さん、喫茶店、普通の会社も土蔵、もちろん町の資料館も土蔵です。資料館は元校長先生のおじいちゃんが案内をしてくれます。はかり屋さんも土蔵と思ったら半分、洋風??昭和の始めに道路拡張があって、削りとられ左半分が石造りの建築になったそうです。面白い。
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町の名前の由来は、豊臣秀吉が、後陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に迎え奉るときに使用した「御車山」を、加賀初代藩主・前田利家が拝領。二代藩主・利長が町民に与えたそうです。
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今でも、5月1日の高岡御車山祭では山町筋を山車が練り歩きます。

土蔵の町になったのは明治33(1900)年に市街地の半分以上を焼失する大火の後です。Imgp6566
県は建築規則で防火構造を義務づけたため、土蔵もしくは耐火に強いレンガづくりの町並になったそうです。

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重厚な土蔵や当時最新のレンガの西洋建築は相当お金がかかったと思うのですが、さすが前田候のお膝元、しかも旧北陸道の街道沿い、そして日本海と言えば「北前船」豪商がいない訳が無い。土蔵の地味なイメージとは違い、内装は贅を凝らしていました。
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また、所々に明治・大正の面影が残るルネッサンス風の建物もあります。
その中でも富山銀行は圧巻で、1914年に東京駅を設計した辰野金吾氏が監修したそうです。
赤レンガの壁面に緑青の銅板葺き。柱や窓には花こう岩を使ってありました。所々に細かいレリーフがしてあり、1回見ただけでは見きれません。
会議室のステンドグラスや天井の漆喰も素晴らしいそうです。残念なことに中に入れませんでした。
Imgp6569
この町の凄いところは重要文化財だったりしているところで、普通に住んで生活していたり、商店や会社、銀行が普通に業務を執り行っているところです。
現代の暮らしでは不都合なことがいっぱいあったり、建物の保存が大変だと思うのですが、町全体が歴史ある町を残そうと頑張っています。
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ひな祭りには旧家に伝わるお雛様を町全体で飾ったり、8月には「土蔵フェスタ」と名を打って、それぞれの家の所蔵品を展示したりイベントを行なうそうです。
ちなみに、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。今年、5月には小泉総理も来たそうです。

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