第3回江戸文化歴史検定 第67問
私は水戸藩士で、徳川斉昭の腹心として藩政改革を推進し、水戸学に代表的な著作『弘道館記述義』を著わしました。しかし、安政2年(1855)の江戸大地震のとき、母を救おうとして小石川藩邸で圧死しました。私は誰でしょう?
答え 藤田東湖
今年の早春に水戸に行っておいてよかった。すぐ答えがわかったよ。(v^ー゜)
藤田東湖は国学(水戸学)の学者でもあって、国学は後に尊皇思想につながっていくんだけれど、西郷隆盛が島津斉彬の参勤交代に供して江戸に来たとき、藤田東湖に会っているんですね。
いたく感激して叔父さんに手紙を書いているんです。
「東湖先生も至極丁寧なることにて、彼の宅へ差し越し申し候と清水に浴し候塩梅にて、中心一点の雲霞なく、ただ清浄なる心に相成り、帰路を忘れ候次第に御座候」
東湖先生が西郷隆盛に会う前に清水で沐浴したのかと思っていたのですが、そうではなく、
東湖先生に会ったことで、自分(西郷隆盛)の心が一点の曇りもなくなり、自分の考えが間違っていなかったと確信したんでしょうね。
しかし、西郷が東湖に会ってから1年半ぐらいで安政の大地震で死んでしまうのです。
水戸には東湖の銅像と産湯をつかった井戸があります。
今年の初めには水戸市シルバー人材センターの前にあったのですが、建物が老朽化のため、シルバー人材センターは引っ越したそうです。
藤田東湖像 水戸市梅香1-2-20




























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